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若者世代が遊ぶ術を覚えた理由とは

50歳以上過半数社会のビジネスチャンスとは? Vol.6

 

 学生中心の若者カルチャーが広く普及したのは1970年代後半から80年代初頭です。ABS世代より前の世代は一部の人しか知らなかった「遊びと遊ぶ術」を万人が覚え、いわゆる「モノからコト(体験)」の消費を楽しいと感じる時代が確立されたのです。

 映画「サタデー・ナイト・フィーバー」が日本のみならず世界中で大ヒット。東京でもそれまで一部のマニアしか行かないディスコが大衆化しました。私は79年4月に岐阜から上京し、最初に行ったディスコは新宿歌舞伎町の東亜会館にあった「カンタベリーハウス」、そして翌年には六本木の「キサナドゥ」に行きました。当時「新宿東亜会館と六本木スクエアビル」は全館ほぼディスコがあり、連日若者達で大賑わいでした。

 ファッションでは「JJ」など雑誌の影響で、女子大生はトラッドを基本に「エルメス・グッチ・セリーヌ」など海外高級ブランドを身に付ける「ニュートラファッション」を覚え、「POPEYE」は西海岸カルチャーを発信し「サーフィンブーム」が起こります。「シティボーイ」と言われだしたのもこの頃。夏はサーフィン、冬はスキー、街中はテニス、そして夜はコンパにディスコと、頻度の多い少ないはあれ、当時東京など大都市の大学生を中心とした若者は良く遊んでいました。

 六本木はキサナドゥはじめ「サーファーディスコ」と言う業態のお店が多く、サーファーだけでなくファッションだけの「陸(おか)サーファー」も交じり、男の子は爽やかに日焼けし、女の子はニュートラやサーファーファッションでカッコいい大人のオンナを演出したり、「FUKUZO・ミハマ・キタムラ」と言う横浜元町のトラッドブランドを着こなす「ハマトラ」でテニスラケットを持つ女の子も、「渋谷の公園通り」や「自由が丘」など散策していました。

 またカッコいいデートスタイルは彼のクルマで遊びのスポットに出かけるコト。カーステレオからは彼女が喜ぶ音楽を、「オリジナルカセットテープ」で彼氏が聴かせることがイケてました。当時は免許取得したら男の子はクルマが欲しいと誰もが思い、手軽な価格の若者向け車種を各メーカー発売。中でも空前のヒットはマツダの「赤いファミリア」でした。

 こうして振り返ると、ABS世代は高度経済成長期に幼少期から成長したためマスコミの影響が大きく、学生の頃は「雑誌をマニュアル」にしました。こうした情報が若者達のコミュニティから口コミで拡がり、流行のモノを買いカッコいいコトを体験します。それを追い求めたニーズとは、男女とも「皆で同じ時間と楽しみを共有」し、男性は女性から「モテたい!」、女性は「ヒロインである自分に酔い、人から称賛されたい!」、こうした「承認欲求」が強い若者が多かった時代です。そんなマインドを持つ大衆の若者が80年代に社会進出するのです。

【写真】

昭和56年、湘南辻堂東海岸での21歳の筆者。背伸びをして流行を追っかけていました。

【ABS世代】

昭和30年から43年頃までに生まれた、高度経済成長期に幼少期を過ごし、若い頃にバブル景気を体験した、人生100年時代の新しいシニア世代。

【ABS世代】
昭和30年から43年頃までに生まれた、高度経済成長期に幼少期を過ごし、若い頃にバブル景気を体験した、人生100年時代の新しいシニア世代。

 


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顧問 / 鈴木 準