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高度経済成長期に生まれた申し子たち

50歳以上過半数社会のビジネスチャンスとは? Vol.5

 

 昭和30(1955)年から43(1968)年生まれで、現在55歳から69歳までの「ABS世代」の幼年期は、戦争体験のある両親から家族愛を一身に受け、高度経済成長期に生まれた申し子として「モノ」にも恵まれました。思春期には、音楽・スポーツ・ファッションからさまざまな「コト」の影響も受けた世代です。

 私は昭和35(1960)年生まれ。戦後15年が経過し高度経済成長期に入った頃です。当時の池田勇人内閣は所得倍増計画を宣言し、モノづくり技術を伸長させました。「三種の神器(冷蔵庫・洗濯機・テレビ)」から「3C(カラーテレビ・クーラー・カー=自家用車)」を買うため、戦前世代である昭和9年生まれの私の父親は頑張って働きました。昭和11年生まれの母親は、幼少期に満州から引き揚げた悲惨な戦争体験を反動にして、温かい家庭を作りたいと願ったそうです。

 私の両親が若い頃は映画くらいしか娯楽はなく、明治生まれの父親(私の祖父)からは、遊ぶことは不良だと言われたそうです。一方、ABS世代の幼少期にはマンガやテレビが普及し始め、「王・長嶋」の影響でほとんどの男の子は野球ファンでした。復興の象徴である東京五輪が開催されたのは1964年のことです。60年代は市場の成長期で、皆が同じ消費や娯楽を楽しんでいました。「大衆」という概念が確立し、テレビCMでモノが売れるマスマーケティング全盛時代でした。

 昭和45(1970)年には大阪万博が開催されました。アポロ計画の宇宙船で月から持ち帰った「アメリカ館の月の石」を見ようと私も連れて行ってもらい、未来の宇宙旅行を子供ながらに期待しました。

 音楽では「新御三家(郷ひろみ西城秀樹さん、野口五郎)」や「花の中三トリオ(森昌子桜田淳子山口百恵)」、キャンディーズ、ピンク・レディーなどが出演していた歌番組を見ることが定番。そして荒井由実の登場で、フォークシンガーとはまったく異なる「ニューミュージック」や「シティポップ」というオシャレなカテゴリーも誕生。ユーミンの歌は流行・文化を創り出しました。

 ファッションやライフスタイルでは雑誌「JJ」や「POPEYE」など若者向けのマニュアル雑誌が創刊。私がファッションに興味を持ち始めたのは中学生の頃で、最後の「VAN」世代として、雑誌「MEN’S CLUB(メンズクラブ)」を見てボタンダウンシャツやスニーカー、冬の通学で着るステンカラーコートを買い、VANの紙袋を大切に持ち歩いて、女の子を意識しながら背伸びして大人のオシャレを覚えました。

 ファッションで思い出すのは、JUN&ROPEが提供していたダンス番組「ソウル・トレイン」。東京生まれの友人に聞くと、ディスコに出かけて、兄姉に教えられステップダンスを覚えたそうです。そして1978年には映画「サタデー・ナイト・フィーバー」が公開されます。

 モノの普及率が高まり市場成熟期となった70年代は、市場の細分化や製品の差別化で付加価値のあるモノが市場に出回りました。娯楽も多様化を始め、それまでにないカルチャーが形成されました。

 こうして振り返ると、ABS世代は遊びの文化が躍進した時代に多感な時期を過ごし、中高生から大学生、社会人になったのです。この体験がベースとなり、その後の社会に大きな影響を与えることとなります。

【ABS世代】
昭和30年から43年頃までに生まれた、高度経済成長期に幼少期を過ごし、若い頃にバブル景気を体験した、人生100年時代の新しいシニア世代。

 


株式会社ワントゥワン
顧問 / 鈴木 準